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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14291号 判決

原告

朴壽南

右訴訟代理人

本橋光一郎

本橋美智子

被告

株式会社皓星社

右代表者

藤巻修一

被告

藤巻修一

主文

一  被告らは、別紙書籍目録記載の書籍を複製頒布してはならない。

二  被告らは、各自原告に対し、金五万円及びこれに対する昭和五七年一二月一〇日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

五  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同旨

2  被告らは、各自原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月一〇日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  2及び3につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、「李珍宇全書簡集」「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」などの著者(編著者も含む)であり、朝鮮人被爆者の復権のための活動を続けている者である。

2  原告は、昭和四八年株式会社三省堂から刊行した「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」が、発売後程なく絶版となつていたため、昭和五七年八月に開催される原水爆禁止日本国民会議(以下、「原水禁」という。)世界大会国際会議(東京大会、広島大会、長崎大会)に先がけて、右書物の再版本といえる別紙書籍目録記載の書籍(以下、「本件書籍」という。)を出版することを企画し、昭和五七年四月下旬頃、被告株式会社皓星社(以下、「被告会社」という。)に対し、本件書籍五〇〇〇冊の製造を以下の約定で請負わせた。

(一) 代金は、とりあえず昭和五七年六月末日までに二〇万円を支払う。

(二) 四〇〇〇冊は、原水禁世界大会の東京、広島、長崎の各種集会場で、原告が直接販売し、一〇〇〇冊は、被告会社が東京出版販売株式会社(以下、「東販」という。)等を通じて、全国の書店へ流通させて販売する。

(三) 納入は、右事情から昭和五七年七月末日厳守とする。

3  被告会社は、昭和五七年八月一日、二日の原水禁東京大会までには本件書籍を一冊も原告に納入せず、同年八月六日の原水禁広島大会最終日に二〇〇冊、その後三二〇冊を納入したのみであり、一方、同年八月中旬頃には、東販を通じて本件書籍を全国の書店に流通させ、本件書籍の増刷頒布を現在まで継続している。

4  被告会社は、本件書籍の製造にあたり、原告に無断で、まえがき、あとがき部分を大幅に削除した。

5  原告は、昭和五七年一〇月一三日、被告会社に対し、同社の著しい債務不履行及び重大なる背信行為を理由に、2記載の契約を解除する旨の通知をした。

6  原告は、新聞等を通じて原水禁世界大会にあわせて本件書籍を発売する旨広く発表していたため、これが不可能となつたことによつて、今まで築いてきた言論人としての名誉、信用を著しく毀損されるとともに、原告に無断で内容を削除されたことにより、著作者人格権を毀損された。

7  被告会社は零細な業者であり、代表者である被告藤巻修一(以下、「被告藤巻」という。)自らがすべてをとりしきつており、被告会社の行為はすべて被告藤巻の手によつてなされている。そして、被告会社及び被告藤巻は前記行為をなすにつき故意又は過失があつたから、右債務不履行ないし不法行為により原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(一) 逸失利益 三八二万円

本件書籍中、被告会社が書店へ流通させて販売した四四八〇冊につき、一冊の販売価格一五〇〇円を乗じた六七二万円から、五〇〇〇冊の製造原価である二〇〇万円、原告が販売協力者等を通じて販売する一〇〇〇冊の値引二割としての減価額三〇万円、取次店を通じて一〇〇〇冊を販売したときの営業流通費の控除を四割とみて減価額六〇万円を差引いた三八二万円

4480×1500−(2000000+300000+600000)

(二) 慰藉料 二〇〇万円

被告らの前記行為により原告の被つた精神的苦痛を慰藉するに足りる金員は二〇〇万円を下らない。

8  よつて、原告は、被告らに対し、本件書籍の著作権に基づき同書の複製頒布の禁止及び債務不履行ないし不法行為による賠害賠償金の内金として連帯して二〇〇万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月一〇日以降支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実中、原告が「李珍宇全書簡集」「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の著者又は編者であることは認め、その余は否認する。

2  同2の事実中、被告会社が昭和五七年四月下旬頃、原告から本件書籍の製作を依頼され、これを承諾したことは認めるが、その余は否認する。

本件書籍の製作にあたつて、原告と被告会社で締結された契約の内容は、次のとおりである。

(一) 本件書籍は、原告の著作にかかる「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の再版として、原告が自費出版するもので、製作費用はすべて原告の負担とし、着手時に五〇万円、残額は本件書籍の製作完了時に被告会社に支払う。

(二) 自費出版としての性格上、本件書籍の販売は、原告が行うが、書店において誰でもが購入できるようにするため、被告会社が発売元となり、東販等の取次店を通じて全国の書店でも販売する。

(三) 発行部数は二〇〇〇冊とし、売れ行きによつて増刷する。

(四) 被告会社は、原告から、昭和五七年八月の原水禁世界大会に先がけて本件書籍を出版することを依頼され、この時の計画があくまで「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の題名のみをかえ、単純に再版するということであつたので、そのことを前提として、これを承諾し、納期は昭和五七年七月末日とした。

3  同3の事実中、被告会社が、昭和五七年八月六日原告に本件書籍二〇〇冊を納入したことは認め、被告会社が、本件書籍の増刷頒布を現在まで継続していることは否認する。

右二〇〇冊のほかは、被告会社において原告の指示に従い、一五〇冊を直接読者に送本し、原告の指示もしくは契約の趣旨に従い、一〇〇冊を書評家等に献本し、一二五〇冊を取次店を通じて全国の書店に頒布した。なお、残り三〇〇冊は、被告会社の承諾をえることなく、原告が勝手に被告会社から持ち去つた。

4  同4の事実中、本件書籍のあとがきのある個所を被告会社が削除したことは認めるが、その余は否認する。

後に主張するとおり右削除については、原告も了承していた。

5  同5の事実中、原告が被告会社に対し、契約解除の通知をしたことは認める。

6  同6の事実は否認する。

7  同7中、被告会社及び被告藤巻に故意又は過失のあつたことは否認し、その余は争う。

三  被告らの主張

1  本件書籍の製作にあたつては、以下に述べるとおり、被告会社には一切債務の不履行はなく、債務の履行をしていないのはむしろ原告である。

(一) 原告は、着手時に支払うべき五〇万円を支払わず、被告会社の度重なる催促により、昭和五七年七月初旬に一〇万円、同年八月六日に「ニンテンケイ」名義で一〇万円の合計二〇万円を支払つたのみで、現在に至るまで、原告が、本件書籍の製作の対価として、被告会社に支払つたのは右二〇万円のみである。

(二) 被告会社は、着手金を受領していないのにも拘らず、本件書籍の製作にとりかかり、「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の探索からはじめて、ちらしの作成、配布、組版作業等を一切被告会社の計算において行つた。

(三) 原告は、「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の単純な再版との合意のもとに被告会社が進めていた組版作業に対し、昭和五七年七月初旬頃に至り、無原則、無計画に、しばしば追加、差し替えの要望をしてきたため、被告会社は、その都度版下の修正、変更を業者に指示せざるをえず、作業は著しく遅延した。かくして、被告会社が原告から最後の変更原稿を受け取つたのは、昭和五七年七月一五日である。

(四) 昭和五七年七月二九日、どうにか組版完成となり、原告に本件書籍全部の校正紙を見せ、了解をえた上で校了となつたが、この時点で被告会社の立替金は、四六万〇八七七円にのぼつていた。

(五) 以上のとおり、本件書籍が昭和五七年七月末日までに原告に納入できなかつたのは、原告が当初の約束どおりの着手金を支払わなかつたこと、当初の約束に反し、度重なる追加、訂正等を求めてきたこと等すべて原告側の事情によることであつて、このことで原告の言論人としての名誉、信用が害されたとすれば、それは身から出た錆以外の何ものでもない。

2  本件書籍二〇〇〇冊の製作には、一二七万二一八一円の費用がかかつている。また、被告会社には、法律上当然に報酬を請求する権利(商法第五一二条)があり、その報酬額として相当な一五〇万円の合計二七七万二一八一円を、被告会社は原告に対して請求しうる。

一方、被告会社は、取次店を通じて本件書籍を全国の書店に販売したその売上高一二七万五〇〇〇円(1500円×0.68×1250冊)を入手しているので、これから取次店への委託手数料四万五〇〇〇円及び被告会社の流通マージン一八万七五〇〇円を控除した一〇四万二五〇〇円と、原告から支払を受けた二〇万円の合計一三四万二五〇〇円を、本件書籍製作費及び報酬合計二七七万二一八一円と対当額で相殺しても、いまだ被告会社は原告に対し一五二万九六八一円を請求しうるのであつて、原告が被告会社に対し請求しうる金員などなく、逸失利益など生ずる余地はない。

3  本件書籍の製本に当たり、原告のあとがきのある箇所を被告会社が削除したのは、内容的に非常に問題のある箇所について、被告藤巻が原告のために好意的に助言し、原告の了解の下にこれを削除したものである。

四  被告らの主張に対する原告の認否及び反論

1  被告らの主張1の事実中、原告が昭和五七年七月初旬に一〇万円、同年八月六日に「ニンテンケイ」名義で一〇万円を被告会社に支払つたこと、原告が被告会社に最終の原稿を渡したのが昭和五七年七月一五日であること、同年七月末に本件書籍の校正を了したことは認めるが、その余は否認する。

(一) 原告が被告会社に支払うことを約したのは二〇万円である。原告は、その後知人から、被告会社には金銭的トラブルが多発している旨の噂をきいたため、口約束のみで金員を支払うことに不安を感じ、昭和五七年六月末に被告会社に対し、正式の見積書を出し、正式の契約書を作成して貰いたいと述べた。しかるに、被告会社はこれを実行しなかつたため、原告は、二〇万円の支払に慎重にならざるをえず、そのことによつて支払が遅れたものである。

(二) 被告会社は、原水禁世界大会が間近に迫つてくる頃に、次々と当初の約束の二〇万円のほかに上乗せした金員の支払を原告に対して求めてきたばかりか、原告がこれに対処すべく連絡をとろうとすると、被告藤巻は留守なことが多く、連絡がなかなかとれなかつた。

(三) このように、本件書籍が昭和五七年七月末日までに原告に納入できなかつたことについて、原告には何らの落度もなく、被告らの主張は、全く理由がない。

2  被告らの主張2及び3の事実は、いずれも否認する

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告が「季珍宇全書簡集」「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の著書もしくは編者であること、原告は、昭和五七年四月下旬、本件書籍の製作を被告会社に依頼したこと、被告会社が、同年八月六日に原告に本件書籍二〇〇冊を納入したことは当事者間に争いがない。

二当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  原告は、読者に本当に読んで貰いたい良書を供給したいとの願いから、自らが出版事業を行いたいと考えていたところ、昭和四八年株式会社三省堂から刊行した原告著作にかかる「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」が発売後程なく絶版となつており、復刊の要望も多く、また、昭和五七年はいわゆる反核運動が盛り上りをみせており、右書籍を復刊する好機であつたこともあり、右考えに沿つて、まず最初の出版物として右書籍を復刊することを企画した。そして、昭和五七年四月下旬頃、被告会社の代表者である被告藤巻に相談をもちかけ、話し合いの過程で大要次のような合意をみた。

すなわち、原告が発行元となり、被告会社が発売元となつて三省堂版の「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」を復刊した本件書籍をまず刊行する。本件書籍は、三省堂版の前記書籍を単純に復刊するもので、まえがき、あとがき等の部分以外は、三省堂版と同一内容とする。販売は、被告会社が東販等の取次店を通じて全国の書店でも行うが、これは読者サービスであつて、あくまで販売の主体は原告であり、原告は、協力者を募り、その協力者に二割引きほどの値段で定期的に書籍を買つて貰うなどの方法により販売し、そのために原告は、協力者の組織化を早急に行う。本件書籍は、原告がすべての費用を負担して、被告会社が製作を請負つて刊行するもので、費用としては一応二五〇万円程度必要と思われるが、とりあえずは着手時に、原告は被告会社に五〇万円を支払う。発行部数は、経費との関係、また一冊の定価を一五〇〇円とする関係などから、一応五〇〇〇冊とする。発行の時期は、昭和五七年八月一日から開催される原水禁世界大会にあわせ、これに間に合うようにするとの内容である。

2  被告会社は、昭和五七年五月中旬頃から本件書籍の製作に着手し、原告が、三省堂「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」の書籍を一冊も用意していなかつたため、右書籍の探索からはじめ、印刷はオフセット印刷にすることとして、同年六月には組版作業を下請に出し、また、本件書籍の宣伝用チラシを東販等の取次店に配布するなどした。一方、本件書籍は、三省堂版の単純な復刊という当初の約束であつたが、原告から、七月に入る頃から、度々原稿の差しかえ、追加の要求があり、それも、ある出版物のある個所の文章を挿入するようにというが如き要求もあつたため、被告会社はその度にこれを探索しなくてはならず、オフセット印刷の適性からも、その都度版下を廃棄して、やり直さなくてはならなかつた。そして、原告が被告会社に最終原稿を渡したのは、同年七月一五日であつた。

3  この間に原告は、他者から、被告会社には金銭的トラブルが多発しているとの噂をきくなどしたため、当初約束した着手金五〇万円の支払をも躊躇し、度々被告会社から着手金の支払要求があつたのに対しても応じなかつた。被告会社は、原告からの支払金により、下請等への一時金の支払をすることもできず、自社の諸手続費用も立替負担せざるをえなかつた。そして、原告は、同年五月末に約した、六月二〇日までに支払うべき着手金の内金たる二〇万円についても、契約書を双方で作成し、被告会社で見積書を出さない以上支払わないと述べ、支払を拒否した。結局、七月一〇日に支払われた一〇万円、その後の八月六日に支払われた一〇万円の合計二〇万円が原告によつて本件書籍製作に当り被告会社に支払われた全額である。

なお、被告藤巻は、着手金の支払もなしに被告会社の負担で本件書籍の製作に着手しており、また報酬を請求しているのでもなく、全額を請求しているのでもないのに、原告から契約書作成の要求があつたことを訝かり、右要求は拒否した。被告会社は、着手金五〇万円の範囲内であり、また途中で原告が支払を確約した二〇万円の支払を度々要求はしているものの、それ以上の金員の支払を、本件書籍の発行前に、原告に要求したことはない。

4  本件書籍の組版作業は、同年七月二九日に完了し、直ちに原告の校正を経て、同月三〇日、被告会社は印刷を下請に出している。また、八月一日にカバーのデザインが決定された。被告会社としては、原告からの金員の支払が甚しく遅延している状況から、印刷はとりあえず二〇〇〇冊とし、増刷することは、費用の支払さえあれば容易であることから、その後の事情により増刷することとした。

同年八月五日夜に本件書籍二〇〇〇冊が完成し、被告会社は、広島にいる原告宛航空貨物で二〇冊、トラック便で一八〇冊を送付した。その余は、被告会社において、取次店宛既に注文のきているもの、販売を委託するものを含めて、東販等の取次店宛送付した。

三右認定のとおり、本件書籍の完成は、当初の約束の昭和五七年八月一日の原水禁世界大会初日には間に合わなかつたのであるが、右認定事実によると、これが間に合わなかつたのは、原告からの本件書籍製作に関する費用の支払が遅延していたこと、当初の約定に反し、本件書籍が三省堂版の「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」を単純に復刊したものとの範囲を越えて、原告の原稿の差しかえ、追加の要求が多かつたこと等の事情によるものであり、被告会社の責に帰すべき事情によるものとはいえない。

原告が、被告会社への金員の支払を遅延させた理由は、被告会社に金銭的トラブルが多発しているとの噂などにより、原告が被告会社の態度に不信を募らせたことによるが、本件に関する限り、被告会社が次々に原告に対し金員の支払を要求したとか、原告が次々に金員を被告会社に支払わなくてはならなかつたなどという事情は全く認められない。結局、原告が、本件書籍の製作に関し被告会社に支払つた金員は二〇万円のみであるし、逆に、〈証拠〉によると、昭和五七年八月一日に原告は、被告会社から二五万円を借入れているとの事情も認められるのであつて、原告が前記のとおりの疑いの下に、被告会社への金員の支払を拒否することには何らの正当性も見出しえない。また、被告会社が契約書の作成を拒否したことも、前認定の事情の下においては、さほど非難されるべきこととはいえない。

原告本人の供述中には、当初五〇〇〇冊製作する予定であつた本件書籍を、被告会社が二〇〇〇冊しか製作しなかつたこと、原水禁世界大会において四〇〇〇冊を販売する予定であつたのに、二〇〇冊しか広島にいた原告に送付しなかつたこと、二〇〇〇冊しか製作しないのであればこれはすべて広島ないし長崎にいる原告宛送付すべきであつたことなどをとらえて、被告会社を非難している部分が存するが、発行部数が二〇〇〇冊に減じた点は、原告の被告会社への金員の支払状況ないし、後の状況により増刷することも容易であることなどから、被告会社にとつてはやむをえなかつたものということができる。また、四〇〇〇冊を広島等で販売するとの当初の約束の存在は、これほど大量の書籍を、単に会場等で並べるなどして販売することの困難性からも、これを認めることはできず、当初の約束は、ある一定量の書籍を、原告の組織化した協力者等を通じて販売するということであり、原水禁世界大会の会場等で販売するという具体的内容のものではなかつたと解するのが自然である。完成した本件書籍二〇〇〇冊のうち、どれだけを原水禁世界大会の会場に送付し、どれだけを取次店へ送付するかについては、原告と被告会社間の意思の疎通を欠いたことがあることは否めないが、本件書籍完成に至るまでの前記事情を考慮すれば、被告会社に一方的に責に帰せられるべきものともいえない。

そうすると、本件書籍の製作に関し、その発行時期の遅れもしくは発行した書籍の流通のさせ方という点においては、被告会社には責に帰すべき事情による債務不履行はないというべきであり、したがつて、この点につき不法行為の成立する余地もない。

四著作者人格権の侵害について

1 本件書籍のあとがきの部分に、原稿から削除された部分があることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、このほかにも「まえがきにかえて」の部分にも原稿から削除された部分があること、本件書籍の発行後に、被告会社は、右削除部分の付加訂正を補遺として行う旨約していること、右削除部分の記載は、何ら表現に問題はなく、単に被告会社の過失により欠落したものと認められる一方、本件書籍は、原告の校正を経ているとはいえ、これほど大部の原稿をわずかの間に逐一検討することはほとんど不可能と思われ、その際に、原告が前記部分の欠落を発見しながら、被告会社に対し右削除に承諾を与えたとは到底認められないこと、本件書籍中にあつて、右部分の記載、特にあとがきの年表部分の記載は、かなりの重要性を有する部分であることが認められる。

そうすると、被告会社の前記行為により、原告が本件書籍につき有する著作者人格権中の同一性保持権が侵害されたものと認められ、本件書籍の完成の頃の非常に切迫した状況、そのような状況になるに至るについての前認定のとおりの原告側に存した事情等本件にあらわれたるすべての事情をも考慮すると、原告が右権利を侵害されたことにより被つた精神的苦痛を慰藉するに足りる金員は五万円をもつて相当とする。

2  〈証拠〉によると、被告会社は、代表者である被告藤巻が一人ですべてをとりしきつているいわゆる個人会社であつて、前記のとおり本件書籍の製作にあたつての被告会社の行為は実際には、被告藤巻の行為によつてされたものと認められるから、被告会社と被告藤巻とは前記著作者人格権の侵害行為については、共同不法行為者としての立場にあるものと認められる。

3  よつて、被告らは各自、前記損害金五万円及びこれに対する本件記録上訴状送達の日の翌日であることが明らかな昭和五七年一二月一〇日以降支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を原告に支払うべき義務がある。

五出版差止請求について

原告が本件書籍につき著作権を有することは前認定のとおりである。

ところで、原告が被告会社に対し、昭和五七年一〇月一三日、本件書籍の製作に関する契約を解除する旨の通知をしたことは、当事者間に争いがなく、また、出版会社である被告会社が、本件書籍については、一応二〇〇〇冊を製作することで十分と考え、五〇〇〇冊の製作の合意に対し、二〇〇〇冊の製作にとどめたことも前認定のとおりである。右事実をみるとき、原告と被告会社の本件書籍についての出版の契約は、右二〇〇〇冊の製作をもつて双方の合意により終了したものといわなければならない。ところが、被告藤巻は、前示認定のとおり、本件書籍二〇〇〇冊を製作した際、その増刷は容易であると考えていた点からみて、被告会社及びその代表者である被告藤巻が更にこれを増刷するおそれもあるものと認められ、また、両被告が二〇〇〇冊以上の本件書籍を発行しうる権原があるものとも認められないから、右書籍の複製及び頒布の差止を求する原告の請求は理由がある。

六結論

よつて、原告の被告らに対する請求は、四及び五記載の範囲内で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官元木 伸 裁判官飯村敏明 裁判官髙林 龍)

書籍目録

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